学会の沿革
  日本めまい平衡医学会は、19571018日に第2回オージオロジー学会の委員会の一つとして発足し、第1回「前庭研究の集い」が京都市の湯川記念会館で行われたのが始まりである。この時の演題は5題で、1.Frenzel眼鏡使用の問題点(渡辺いさむ:東京医大)、2.ENGの検討(鈴木淳一:東大、戸塚元吉:順大)、3.聴神経腫瘍症例(渡辺いさむ:東京医大)、4.眼振の観察及び記録法(武山貢次:東北大)、5.眼振のeye-speed(小池吉郎:新大)であった。この「集い」は翌年から年2回ずつ開催され(1958年には3回)、第10回まで続いた。19626月には第11回に「日本前庭研究会」になり、前庭研究論文集が発行されるようになった。この論文抄録集は、文献目録として後にEquilibrium Reseachに掲載されるようになった。また、この年には日本前庭研究会規約が制定され、会は幹事によって運営されるようになった。同年12月の会員名簿が発行されているが、このときの会員数は193名であった。日本前庭研究会も年2回ずつ開催され(1965年は1回)第22回まで続き、196810月に第23回日本平衡神経科学会へと引き継がれた。同時に、研究会規則も日本平衡神経科学会会則となり、専門会員、名誉会員、審議員、運営委員、評議員、専門会員審査委員の制度が定められた。学会は1972年までは年に2回開催されたが、1973年の第32回から年に1回の開催になり現在に受け継がれている。1975年には第5回国際平衡神経科学会会議(バラニー学会)が森本正紀会長のもと京都市で開催され、1981年には檜学会長の下で国際姿勢学会(京都市)も開催された。また、1990年には日本で2回目のバラニー学会が東京で開催され(松永亨会長、鈴木淳一事務総長)、1994年にやはり日本で2回目の国際姿勢学会が松本(田口喜一郎会長)で開催された。1999年の第58回総会で学会組織の変更とともに学会名も新しくなり、2000年の第59回学会では、現在の名称である日本めまい平衡医学会が初めて用いられた。学会は現在、役員である理事、監事に顧問を加えて運営されている。

なお、本学会は医師および検査技師の教育にも熱心で、医師向けと技術者向けの講習会を年1回行っており、医師講習会は18回目を、技術講習会は31回を迎えている。

 なお、学会の開催年度、会長名、開催地を別表に示した。

2001.10.29(八木聰明)